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8月9日は長崎原爆の日。その記憶について

 今年の原爆の日はコロナウイルスの影響で、平和祈念式典は一般参加者なしで行われました。 原爆投下、つまり終戦から75年経過し、その日を経験した方が徐々に少なくなっていきます。 私達のもとへ入院される方はご高齢の方が多いので、時々気がけて、 原爆の日のこと 戦争当時のこと を聞くようにしています。 その際に、いつも、少し驚くのは、 多くの方が、自分の当時のことを、子供や孫に話してはいない、ということです。 今回、話を聞いた女性も、これまで話したことは、ほとんどないとのことでした。 「自分の記憶が、いろいろな情報で、変わっている可能性があるから」 とおっしゃっていました。 確かに、人の記憶ほど、信用ならないものはありません。 正しいことは多いですが、細部は違うことは日常茶飯事だし、 この方がおっしゃるとおり、その後の経験や情報で、記憶が書き換わることはよく知られている事実です。 ただ、本当にそれが理由なのかどうかはわかりません。 当時15歳で、女子挺身隊として働いていたそうです。 職場は爆心地から3kmぐらい。 おそらく原爆による熱線で、近くに積まれていた材木が燃えいて、その脇を、火を避けながら歩いて、5kmぐらいの同じ職場の人の家に一晩泊まったそうです。 翌日、爆心地から1km程度離れた山の斜面にある家に、浦上川を越えて帰宅されました。 浦上川には、焼けただれた人や真っ黒になった人、生きている人、生きていないと思われる人、がたくさんいたそうです。 小学校から原爆のことを聞いてきた長崎市民は、すぐに想像できる光景です。 絵や文章、作成された映像、 で、これまで何度となく目にしてきました。 その光景は、 「こわい」「原爆はひどい」「かわいそう」 などネガティブな感情とセットで心に浮かんできます。 しかし、今回話を聞いた女性は 「何も感じなかった」 とおっしゃっていました。 「自分が生きるのに一生懸命だったから、それどころじゃなかった」 自宅に戻ると家族がいて、当日帰ってこなかったので、「死んでいると思っていた」、と言われたそうです。 一方で、当時の怖かった記憶は、 「空襲警報の音」と「爆弾が落下して爆発する音」 だったそうです。 当時、空襲警報がなり、爆弾が落ちる、ということは 切迫した命に関わる危機 として、ありありと実感していた、ということだと思います。 今で...

ある患者さんの話。シベリアと、長崎と。

「良子さん、昨晩は眠れましたか?」 山下良子さん(仮名)83歳女性。 脳梗塞で、1週間前に入院したが、幸い症状は消失し、そろそろ退院間近。 笑顔がチャーミングな女性。 私は、せっかく長崎で医師をしているので、戦争当時の話を、とりわけ原爆投下当時の話を、時間と、本人の症状、が許せる範囲で聞くようにしている。 終戦から74年。 もうじき、この世代の方々もいなくなる。 もちろん、本人に断りを入れてから当時の話を聞くようにしているが、案外、拒否されることはない。 多くの方が、 「話そうとは思っていたんだけど、自分から話すようなことでもないし」 と言った返答がほとんどである。 今回の話も、良子さんは、やはり自分の子供にはほとんどしていなかった。 また、 「誰にも話していないんだけど」 という内容まで聞かせていただいた。 私は、単なる一医師なので、作家や記者ではない。 突っ込んで聞けないことが多々あった。 それでも、平和な時代だからこそ、そして、世界の情勢が目まぐるしく変わる、こんな時代だからこそ、 私たちは、戦中戦後の、あの時の話を知っておくべきなのかもしれない、と思います。 少なくとも、私は自分の子供には伝えたい。 話の最後に、良子さんが漏らした一言は、当時を経験した彼女だからこその言葉だと思いました。 「もし、総理大臣が「戦争をする」と言ったら、真っ先に(首相のもとに)駆けつけて、乗り込んで、やめさせます」 -------------------------------------------------------------------- 良子さんの話 1945年、おそらく満州の北の方に住んでいました。 満州に移住したのは、他の家族と同様、父の仕事の為でした。 父は当時45歳で、銀行の支店長をしてました。 母は移住して一年目に病気をして、病弱な人でした。 私は、1945年の終戦前に先に帰国して、長崎に戻っていました。 自分では覚えていないのですが、いとこが言うには、私が「早く帰りたい」と言ったから、らしいです。 私は、長崎で、 両親と妹と弟は満州で 終戦を迎えました。 父は帰国の途中で、ロシアの人に捕まり、抑留されました。 母と妹、弟はそのことは知...

脳卒中・循環器病対策基本法が全会一致で可決成立

脳卒中・循環器病対策基本法が12月10日衆議院本会議で、全会一致で可決、成立しました。 2009年に脳卒中対策基本法が提唱され、 政権が替わったり、 未曾有の東日本大震災があったり、 法案自体の行く末は、そのときどきで紆余曲折ありましたが、 2018年「脳卒中・循環器病対策基本法」という形で成立しました。 この法案可決にご尽力された先生方は、ご高名な方ばかりなので、 「ご尽力に感謝いたします」 と私が言っても、「いやいや、末端のあんたが、変でしょ」、感が半端ない いや、ぱねー、ので、 そんなことは言わず、 私達世代は、その恩恵、利益を、未来を見据え、しっかり国民に還元していかなくてはならない、と身が引き締まる思いが、 今、少ししています。 という、気持ち。妥当。 私が、考える、この「脳循対策基本法」(の略でどうでしょう。)の最大の目標は、 「健康寿命の延伸」 脳卒中は日本人の死因の第三位ですが、 1. がん、2. 心疾患、3 脳血管疾患、4 老衰、5、肺炎、6 不慮の事故、7 自殺 要介護疾患の第一位です。圧倒的に。 要介護5はいわゆる「寝たきり状態」 現状把握が重要ですので、 「全例登録」 が行われると大きいと思います。 2006年がん対策基本法制定後に、「がん登録」が法制化され、2016年より全例登録されるようになっています。 それが、がん患者さんの状態や、地域ごとのがん診療の状態、それらの経年経過の把握につながり、 どこに力を入れれば、より良いがん診療を国民に提供できるか、の理解に繋がります。 しかし、「じゃぁ、OK、やりましょう」とすぐにならないのは、準備や、お金の問題もありますが、プライバシーの問題もあります。 個人の病気のことも、個人のプライバシーです。 大雑把な議論では、よろしくないわけです。 が、このことについて、国民の理解を得ることは、そう難しくないような気がしますので、ぜひ早急に進めていきたい部分だと、一脳卒中診療医としては思います。 脳卒中、循環器病診療において、もっとも手間とお金がかかるところは、どの部分でしょうか? 予防? 急性期治療? 回復期・維...

脳卒中センター開設7周年

2011年10月1日に脳卒中センターが開設され、 7年目に突入しました。 開設当初は、脳神経外科サポートのもと、内科医だけでしたが、 現在は、脳神経内科、脳神経外科一緒に運営しています。 私達のいいところは、開設当初から脳神経内科と脳神経外科が協同して診療するという、理念が実質化しているところにあります。 当たり前のことですが。 当たり前のことを、当たり前に行っていくことは、 案外、難しかったりします。 大きな脳梗塞で入院し、内科で対応していても、脳浮腫により開頭減圧術が必要になれば脳外科医にバトンタッチ。手術室へ向かうことになります。 私達、脳内科スタッフは、脳外科医への敬意を忘れてはなりません。 もちろん、脳内科スタッフの頑張りがないことには、この関係は築けないことも知っています。 結局、目の前の患者さんに最大限寄与するよう努力することが、内科だろうが外科だろうがすべての基本になります。 この眼の前の患者さんを診療することが、地域の脳卒中患者さんを診療することにつながっていきます。 それを広げるために、仲間を、若いスタッフを、増やすことが、とても重要です。 脳卒中「診療」で地域に貢献。 脳卒中「教育」で地域に貢献。 これが私達の思いです。

出張先でランニング。その10@アテネ

学会発表も終わり、気分もスッキリして、翌朝、ランニングをしました。 目的はリカヴィトスの丘から朝日をみること。 泊まったホテルは、パルテノン神殿の近く。そこからスタート。 まずは、131年に作られたハドリアヌス凱旋門を右に見て、 シンタグマ広場へ そこからコロナキ地区を通り抜けて、リカヴィトスの丘の入り口へ 早朝だったこともあり、人影はまばら、 なのに、怪しげな(勝手に想像)黒ひげの男たちが3人ぐらいたむろっていて、びびりました。 撃たれたらどうしよう(超、勝手に想像)。 ハイスピードで走りに抜け、幸い何も撃たれませんでした。 丘の高さは277m。 長崎市民みんなの山、稲佐山333mよりは低い程度。 適当に走っていると、階段がみつかり、くねくねと登っていき、 日の出前に付きました。 頂上には、若いおねぇさんと、ドローンを飛ばそうとしている兄ちゃんと、おじさん3人だけでした。 夕日のときは、アクロポリス(パルテノン神殿がある場所)の方向へ沈む夕日が見られるので、人がいっぱいなんでしょう。 右にパルテノン神殿。真ん中にゼウス神殿。左に少し見えるのがPanathenaic stadium. 朝日。 海に囲まれているからか、意外と湿度は低くなく、日本っぽい、淡い色調の朝日でした。 丘をくだり、 まだ、あの黒ひげ3人組(迷惑にも勝手に命名)いて、 撃たれないように、ほぼダッシュで、少し蛇行しながら(撃たれても、よけられるはずだと信じ)走りに抜け、コロナキ地区まで駆け下りました。 朝飯は、チーズをパイ生地で包んで焼いたパンをコーヒーと一緒に。 異国の地で食べると雰囲気ありきで、美味く感じます。実際美味かったです。 極度の方向音痴である私は、ほぼ同じ道を戻り、  ローマ時代のハドリアヌスの凱旋門と朝日のコラボレーションを左に見ながら、ホテルに戻りました。 アテネの街の雰囲気は、交易で栄えた国らしく、アジアとヨーロッパが入り混じった猥雑な感じ。 個人的には好きな雰囲気。  でも、メトロ2駅しか離れていないオモニア駅の方は、 落書きが多く、実際、夜は危険な街だそうです...

明けましておめでとうございます。2018

明けましておめでとうございます。2018。 今年も、無事に新年をむかえることができました。 脳神経外科の皆様、いつも、綺麗事抜きに、診療してくださいまして、ありがとうございます。 結局、脳卒中診療は、脳神経外科のバックアップがあってこそ成り立つものです。 私達内科医は、その事実に対して、謙虚であるべきで、 感謝の気持ちで診療していきたいと思います。 病棟看護師の皆様、いつも患者さんの受け入れ、対応ありがとうございます。 ・・・ って、いろいろなところに「ありがとうございます」、っていう文章を一回書いてみると、相当うるさい文章になったので、 書くのやめます。 「ありがとうございます」なんて、直接言うもんだし。 ただ、内輪のことですけど、もう一つだけ。 うちの脳卒中センター、内科のスタッフ2人(関連病院にももう1人)、頑張ってくれました。 それと脳神経内科難病グループも日曜日脳卒中ホットライン当直を頑張ってくれました。 みんなで今年も頑張りましょー。 今後もさらに良質な脳卒中診療を提供できるように、 日々、反省しながら、励んでまいります。 昨年を振り返ると、大きなことが2つありました。 1つは、これ International stroke conference 2017 at Houstonで口演してしまった。 私の脳卒中診療医としての2大目標が達成された瞬間でした。 今年は、European Stroke Conference に演題を出しているので、通っていれば アテネ。 もう1つは、これです。 研修医にレジデントノートをプレゼントする 「編集しませんか」 とメールがきて、 「新手のフィッシング詐欺かもしれない」 と少し疑いつつ、メールを下までみると、 ちゃんとした会社の、さらに研修医に人気のあるシリーズの編集でした。 編集と言っても、大まかな流れは決まっているので、「編集者」としてした仕事は -- それぞれのセクションに寄稿していただく先生にお願いすること -- 書いていただいた内容を拝見して、偉そうに少し提案させていただくこと -- 「編集にあたって」で好きなことを書くこと ぐらいです。 べつに、そんな特別なことしてませんので、偉くもなんと...

研修医にレジデントノートをプレゼントする

脳内スタッフと研修医1年目たち。 脳卒中センターは今年21人がローテートしてくれます。 ありがとうございます。 っていうか、自分目と閉じとるし。 レジデントノート2017年12月号の特集は 「一歩踏み出す脳卒中診療」 です。 私が編集をさせていただきました。 せっかくなので、 脳卒中センターを研修してくれた研修医にプレゼントしました。 自腹を切って。 うそです。 医局のお金で。 編集をさせていただいたので10冊以上購入割引あり。 人数分買えました。 研修医の皆さんには、 ただより高いものはない、ということで入局してもらおうかと思いましたが、 行き過ぎ(ちょっとだけ、) ということで、それは諦めました。 その代わり、 当科の宣伝のために、写真をつかわさせていただくことに許可をもらいました。 皆さん、ありがとね。 編集の仕事として、各項目に寄稿していただく先生を、私の独断で決めさせていただきました。 「いやいや、この先生がよかったんじゃない」 とか、思われるのかなぁ、など、小心者の私は、無駄に悩んだり悩まなかったり。 結局、完成したものは、脳卒中初学者が明日の臨床現場で、一歩前に踏み出して診療に取り組める内容になっていて、 無駄な悩みは、やっぱり無駄でした。 「出血性脳血管障害」の項目は、当院脳神経外科の先生にお願いしました。 内科医を目指す研修医の場合、知識が希薄になるくも膜下出血の初期診療。 再破裂を起こさないために、どれだけ気を配らなければならないか。 私達内科医は、その厳重な初期診療を傍で見ているので、 「これは、若い人たちも知っておかんといかん」 と、思ってお願いしました。 研修医の皆さん、 くも膜下出血の初発症状は、 ありふれた症状 「頭痛」 ですよね。 ウォークインで来院されることもあります。 頭痛の鑑別で、くも膜下出血をあげることはできますよね。 くも膜下出血を強く疑っても、 「ウォークインで来院したから」 という理由で、その後の初期対応を普通の診療のとおりにしていると、 目の前で再破裂を起こしてしまうかもしれませんよ。 くも膜下出血の初期診療、 知っておきましょ...

脳卒中センター開設6周年

おめでとうございます。 ありがとうございます。 なんだか、とびとびで、この記事を書いているようです。 脳卒中センター開設◯◯周年 2011年内科医だけで始まった(もちろん、脳神経外科のサポートがあり)、脳卒中センターの歴史。 短いけど。 それなりにいろいろありました。 いろいろあって、最初は、 「血管障害をみる脳卒中内科医でいくぞー」 って、片意地張ってはじめましたが、 なんだか、そういう、「自分の思いだけ」でやるのは、世の中の流れに沿ってないし、自分の哲学にもあってないことに、やっと最近気づいてきました。 やっぱり、 「求められているものに応える」 ことが大事なような気がします。 で、 求められるものって、意外と、世の中の原則であって、本幹であり、 そんなに変わらないもの、 なのかもしれません。 冷静に、周りを見回して、歴史をふりかえると、 そんなに難しいことじゃない。 2014年から、脳神経内科が教室として発足し、初代教授が就任しました。 神経診療は血管障害と、その他の神経疾患、一緒に診療し、教育し、研究していく、土台の骨組みが作られました。 現在は、未来の脳神経内科スタッフが、立派な診療をおこなっていくために、しっかりとした土台を作る時代です。 私も、脳神経内科の医局長として、若いスタッフの意見を積極的に使って、未熟でも、トライしてみて、自分たちで、礎を築く、楽しさに、喜びに気づいてほしいと思っています。 スタッフ全員が自分たちの未来づくりに関与すること。 当たり前ですけど、 それが、長崎の脳卒中診療、神経難病疾患診療の未来につながると信じています。 そして、2017年から脳卒中センターは、脳神経外科と脳神経内科、一緒に運営することになりました。 それまで、一緒に脳卒中診療にあたってきました。 組織の形として、あたり前になっただけですが、それも、流れを考えると、必要なことでしょう。 まだ、10年も経っていませんが、それでも、継続してこれたのは、周囲のサポートがあってこそ。 開業医の先生方、総合病院の先生方、回復期を診療いただく先生方、医療スタッフの皆様から、地域の脳卒中診療へのご理解を頂いていること、ありがたいことです。 ありがとうござ...

出張先でランニング。その9@品川

品川駅、天王洲アイル、レインボーブリッジを見ながら、かがんで通らなければいけない、線路下の道。 方向音痴全開で2回逆方向へランニング。 船いっぱい。 コンテナいっぱい。 かがんで通らなければならない線路下の道。都市開発の影響でなくなるそうです。 屋形船 。

出張先でランニング。その8@対馬

2017年8月26日長崎県対馬病院で脳卒中の講演をさせていただきました。 医師だけでなく、看護師や救急隊の皆さんまで来ていただきました。 みなさんから、いくつか質問をいただきうれしかったです。 長崎の離島の脳卒中診療をもっと良くしたいので、いろいろ考えながらやっていきたいと思います。 社会情勢的にも、医療資源的にも、状況は整ってきたので、 「機は熟した」 と思っています。 「遅い」 という意見もあります。 とにかく、今私たちにできる最大限のことをやっていきたいと思います。 で、翌朝ランニングです。 小さな湾。あっち側まで走りました。 根曽古墳群から日本海を望む。 根曽古墳群 ちょっとだけ説明。 戻ってきているイカ釣り漁船。夜は海上に多くの漁火を見ることが出来ます。 朝日が登って間もない時間にホテルへ。 逆光と猫

出張先でランニング。その7@宮崎市

宮崎ランニング 宮崎大学でJMECCがあったので、インストラクターとして参加させていただきました。 当日の朝に 無理して、ランニング。 だれも気にしていないのに、 出張したらランニングしなくてはいけないような気持ちに苛まれ。 宮崎駅に隣接するホテルに泊まりました。 宮崎大学周辺には泊まるところがないので。 前日の夜は、宮崎といえば、の地頭鶏とチキン南蛮を食べました。 当たり前ですけど、お弁当チェーン店のチキン南蛮よりうまかったです。 どちらも、それはそれで美味しいんですけどね。 朝日がみたいなぁと思って、海の方へ出ることも考えましたが、 川沿いのランニングコースがある、大淀川へ向かって、ランニング。 動画のような、 微妙なところからの朝日 が見えました。 夏らしい、真っ赤な朝日でした。 長崎には大きな川がないので、ちょっと羨ましかったりします。

脳梗塞治療の実力病院、ってカテゴライズは、意味が通っているのかいないのかよくわかりませんが、まあまあわかります。という話

※写真はイメージです 、けど、脳外科医の先生にご指導をいただきながら、 脳内科スタッフも頑張ってます。っていう写真です。 日本の脳梗塞治療をおこなっている病院の調査 日経実力病院調査 2017/06/04 らしいです。 厚生労働省が調査した年間脳梗塞、手術なし退院症例が200を超えている病院を対象にしています。 下の方の表に全国の病院が ずら~っとならんでいます。 興味がない人は、みるのがしんどい感じです。 表の見方ですが、 病名の付け方で、「手術なし退院症例数」は結構大きく変化すると思うので、 手術症例(どこまでの手術を対象にしているかわかりませんが。)が多いところが、まあまあ頑張っている病院なのかなぁと思って眺めていました。 手術適応を変に拡大しすぎていなければ。 で、 長崎大学病院は 1 手術なし症例201例 2 手術あり症例50例 3 運営体制 79/100点 たしかに、血管内治療は40例ぐらい、脳外科の先生が中心となって、 私達、脳神経内科のスタッフも一緒に頑張って、 やってますので、そんな感じなんでしょう。 もちろん、適切に適応を考慮しているつもりです。 運営体制というのがよくわかりませんでしたが、 ---- 公益財団法人「日本医療機能評価機構」(東京)が病院の依頼で医療の質や安全管理、患者サービスなどの項目を審査した結果を100点満点で換算。点数の後に*があるのは13年4月以降の評価方法「3rdG」で審査された病院で、各項目をS=4点、A=3点、B=2点、C=1点として合算、100点満点に換算した。 --- だそうです。 わかったような、わからないような、 よくわからなかったので、他の病院と比べてみると おそらく、1位が80点で、2, 3病院あったので、79点はその次みたいです。 「病院は頑張っている。脳卒中診療、もっと頑張れ」 と勝手に解釈して、 もっと、 総合病院、教育病院にある脳卒中センターとして、 診療に、 教育に、 研究に、 励みます。 脳内科スタッフと、脳神経外科の皆様、看護師・リハスタッフ・薬剤師、栄養士、放射線技師・検査技師・メディカルソーシャルワーカー、の皆様 いつもありがとうございます。 これ...

2016年度研修医修了式と医学部生の卒業。SかMかでいうと、Mという話。

桜待ちの長崎は、旅立ちの時期です。 3月24日は 研修医修了式 医学部生の卒業式、謝恩会 が執り行われ、 参加させていただきました。 研修医修了式では、 ベスト指導医賞をいただきました。 研修医の投票で 毎年2名選ばれるようです。 こういう賞は、 いわゆるオーベンをされる先生(研修医を直接指導させていただく先生)はもらいにくく、 その横にいる ちょっと偉そうにしている人がもらいやすいです。 それだけ、多くの研修医と接点がもてるから。 はい、 わたし、 ちょいエラ医師 です。 心、おちょこドクター 第44回総合内科専門医試験、受かってたよ。 でもあります。 直接指導してくれる、脳神経内科の若いスタッフたちが直接指導を頑張ってくれているので、 脳神経内科全員がもらった ベスト指導「科」賞 と勝手に解釈して、 悦に入りたいと思います。 修了式の中で1人の研修医の先生が、話した言葉がとても力強くて、世の中の的を得ていて、 と私は思って、 感動しました。 「長崎大学病院の歴史は長く、大切です(的な事を言っていたと思います)。 しかし、これからの歴史を作るのは私達です。頑張るぞー、おー(的な感じ。最後はノリで書きましたが、言ってません)」 「これからの歴史は私達が作る」 ぜひ、そうしましょう。 私達、長崎のちょいエラ医師たちは、 踏まれ好きです。 ぜひ踏み台にしてください。 でも、色んな形の踏み台があるので、 登り方は、あなた次第です。 くすぐって、低くしてもいいし、 力強く踏みつけても、 いいです。 -------------------------------------------------------------------------------------- そして、夜は医学部6年生(と5年生)が準備した謝恩会にも参加させていだきました。 脳神経内科教授のご長男が卒業されて、 なんかもう 感動 もらいました。 来年度、といっても、もうすぐ4月から 一緒に働く仲間がたくさん。 ぜひ、 私達を 「踏んでください。」 ちょっと違う? 「踏み台にしてく...

出張先でランニング。その6@ヒューストン

ytateさんの0:43 時間の (ランニング) Move International stroke conference 2017のためにヒューストンに滞在しました。 2/23 ダウンタウンを走りました。 6時30分、気温は17度 走りやすい気温です。 路面電車が走ってます。 街の感じは、前回のロサンゼルスと違って、ダウンタウンでしたが安全な感じがしました。 ロサンゼルスは少し移動するだけで街の印象が大きく変わりましたが、今回はビジネス街が広く、走る範囲では問題なかったです。 スクエアガーデン 高いビルと一方通行の道。先ずは、宿泊地のClub Quarters in Houston から北東にあるスクエアガーデンというところに向かいました。 途中浮浪者の方が数人いましたが、問題なかったです。 ミニッツメイド・パーク イメージしたガーデンと違ってましたが、「公園」と訳せば、そんなもんだな、という感じです。 そのまま、南下し、ミニッツメイドパークスタジアムへ。 野球場の上に列車発見。 少し閑散としていますが、まあ大丈夫です。 学会場の前の公園 学会場であるconvention centerへは1ブロック。 その目の前にある公園へ走りやすそうだと、来る前から思ってましたが、確かに走りやすかったですか、一周はあっという間でした。 洗濯機あり。なんと無料でした。 ハワイでは50¢ぐらい必要だったようなきがする。 さらに近くのトヨタスタジアム。 そして、若干道に迷いながら、ホテルへ戻りました。 写真を撮りながら、走ったので、ゆっくりでした。 戻って、フィットネスルームで筋トレ。 マッチョな外人が多くて、 薄さ1/2ぐらいの自分がベンチプレスをするのを客観的にみると、 滑稽だったので、 すごすご部屋に帰りました。 0:41 ランニング ヒューストン2日目 24日午後にも時間があったのでランニングしました。  ランニング終了後、Bombay pizzaでピザ食いました。 生地が薄くておいしかったです。

明けましておめでとうございます。2017

今年の年末年始、脳卒中は大忙しというわけではなさそうです。ぼつぼつ救急患者さんが来院されます。 2016年4月から当院の脳卒中センターは外科と内科、共同で運営していくことになりました。 その流れで、日曜日は脳神経外科の先生がすべて当直業務をしてくれていただのですが、 4月から、脳神経内科の神経難病グループのスタッフが、日直、当直をして、脳卒中ホットラインを持ってくれるようになりました。 非常にありがたいことです。 バックアップは脳卒中センター内科のスタッフがしてくれています。 これまたありがたいことです。 脳神経内科全体で、脳卒中患者さん、神経難病患者さんを診ることが出来る雰囲気がさらにできてきました。 このような診療実態の変化と、事務的な変化があって、 なんだか、面倒なことが増えたり、そうでもなかったり、 という感じです。 これからも チーム医療でがんばろー という前向きな気持ち再認識できたので、それはよいことです。 一年の計は元旦にあり ということで、今年の目標を立てます。 その前に、昨年の目標を見てみます。 明けましておめでとうございます。2016 1 論文3編 2 若手育成。論文主著1編。いろいろ考えて、最大限力を入れる部分。 3 チーム医療。近隣の病院、開業医の先生と連携。脳卒中データ管理の礎を築く 1 論文3編 残念ながら、あと1歩及ばず。 主著2編でした。 共著3編。 ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。 以前も書きましたが、 ( Journal of the Neurological Scienceに論文が掲載されました。 ) 臨床研究で論文を書くということは、 まさしく、そこにいらっしゃる患者さんたちをちゃんと診ることが、最も重要です。 つまり、論文を世に出す、ということは、 医師だけではなく、看護師やリハビリスタッフ、放射線技師、薬剤師、地域連携スタッフなどによるチーム医療を世に示す、 という側面もあります。 西の果てで頑張ってるよー。 という感じ。 みなさん、ありがとうございます。 薬剤師の先生が、脳出血の論文を書いてくれました。 前向きで、すばらしいです。 総説も、分担させ...

出張先でランニング。その5 @久留米

ytateさんの0:58 時間の (ランニング) Move : 17.12.2016 - 0:58 時間 8.42 km, ランニング Move 日本神経学会九州地方会と、その前日にある九州脳卒中カンファランスに参加するために前泊。 前日に、お決まりの久留米ラーメンを屋台で食らい、早朝5時30分からランニング開始。 九州の朝は 遅い もう真っ暗です。 なので、 迷います 案の定 「西に向かいます」とか「大きく右に曲がります」 とか、Google mapが宣います。 道、間違ってるってこと。 そんな、優しい言葉じゃ、よくわからないので、 「逆行っとるぜ、しかし」 とか行ってくれたらいいのに、と思います。 強めのバイブレーション付きで。 出張先でランニングするときに困るのは、 道がわからないこと。 もう方向音痴の人は大変です。 碁盤の目の京都の町で迷うような人には大変です。 迷うというか、反対に行っちゃいます。 道に迷えば、新しい発見があるかも、 なんてことはほぼありません。 いや、早朝は暗いし。 何も見えません。 ただ、今回は道間違った結果、懐かしの 「moonstar」 の会社?工場?を発見しました。 月星シューズは久留米発です。 みんな履いてた月星シューズ。 最近は、おされなスリッポンとかあります。 外壁に「moonstar」「moonstar」「moonstar」「moonstar」・・・・・ って、 1個ぐらい 「月星」 ってあるかなぁと思ったんですけど。 ---------------------- せっかくなので、史跡をみたいなぁと思って、 久留米城跡に向かいました。 大学病院の近く。 救命救急センター口を西に向かうと、少しの上り坂になります。小高い丘です。 つきました。 真っ暗です。 木が並んでいるから。 本当真っ暗です。 行ったが最後戻ってこれない、 とかなったら嫌なので、入り込まずに、Uターン。 後は、距離的に、行けるところはなく、 筑後川沿いの土手を走り、 これまた暗い。 ちょうど東西に川が走っているので、朝日が登るときはきれいなのでしょう。 ...

「名医も行きたい病院ランキング」脳梗塞部門、第6位。って何か微妙ですね。

〜〜病院ランキング というのは、バイアス(データを集める際の偏り)が多くあるので、鵜呑みにしてはいけません。 「名医も行きたい病院ランキング」脳梗塞部門は、長崎大学病院が6位でした。6位の病院はたくさんあるようです。 現役医師621人が選ぶ「名医も行きたい病院」ランキング そもそも「名医」って何かという問題もあり、煽っている感じもあり、 「あー、踊らされてるなぁ」 だって、 2/621人です。 でも、誰かが、「長崎大学病院」をあげてくださったということは、10年前では考えられないことです。 だから、ちょっと、嬉しく思ってしまう。 小市民なので。 今後も、脳神経内科、脳神経外科、看護師、放射線技師、リハビリテーションスタッフ、メディカルソーシャルワーカー、クラーク、薬剤師、栄養士、 みんなで協力して脳卒中診療に取り組んでいくこと それが大事です。

出張先でランニング。その4 @ 神戸三宮

ytateさんの0:47 時の (ランニング) Move #SuuntoRun : 21.5.2016 - 0:47 時 5.61 km, ランニング Move 三宮駅近くにホテルから、みなとのもり公園を目指してランニング。 神戸三宮駅からみなとのもり公園 しかし、前日の痛飲が効いて、 おえっ、ってなりそうになったので、ほとんど歩きました。 まずは繁華街。 5時30分 早朝はカラスがたくさん。 さらに、若い兄ちゃんと、妙齢の女性がビルから出てきて、なんだろうか。 フラワーロードを南下し、みなともり公園に到着。 みなとのもり公園 神戸震災復興記念公園。だそうです。 スケボーとか、インラインスケートとかできるところもありました。 すでに、ちゃんと練習しているランナーが 。 おえっ、ってなりそうな私は一番外側をたらたら。 整備がなされていて走りやすかったです。 1周200か, 300mぐらいでしょうか。 そこを抜けると、さらにそこも整備されていて、車も来ないのでリラックスして走れます。 小野浜公園ランニングコース に到着。  ウッドチップコースで、ちょうどいい硬さ。 軟すぎず、かたくないクッションです。 野口みずきさんとか、君原健二さんとかのモニュメントがありました。 君原健二さんの隣には円谷幸吉さんのモニュメントも。 東遊園地を通って、フラワーロードを北上。 ホテル近くに戻って最後は生田神社でお参り。 離婚しませんように。 本当は海まで出たかったのですが、 おえっ、ってなりそうだったので戻りました。 それが心残りでしたが、とても走りやすいコースでした。