80歳ぐらいの男性。
50歳ぐらいの時に脳出血を左大脳半球に起こされていて、麻痺はあるものの杖歩行ができる程度。
75歳の時に脳出血を今度は右側に起こして、当院にご入院されました。当院からほかの病院に転院するときは、コミュニケーションが取れる状態でなく、完全に介助が必要な状態でした。
しかし、幸い、というかかなり驚くことに、その後外来でお会いした時には、2回目の脳出血を起こす前の状態に戻っていらっしゃいました。
それから5年間ぐらい、外来(在宅)でお会いしていながら、聞いていないことがありました。
彼は、何とか杖歩行ができますが、お風呂はデイサービスで介助がないと入れないし、口元をうまく動かせないので、話している内容も半分以上は伝わりません。
しかし、常々おっしゃっていました。
「何とか、少しでも、よくなるように」
私は、5年間、診させていただきながら、
「でも、病気から何年もたっているから、今の状態からよくなることはないんだけどなぁ」
と、わかったような、偉そうなことを心の中でつぶやいていました。
ふと、思いついて私が話したこと。
「年齢を重ねて、筋力が落ちて、活動度が低下することが多いのに、〇〇さんは変わらないですね。少しでも良くなるように、って思いながらリハビリを続けていることが、現状維持につながっているんでしょうね。どうして、がんばれるんですか?」
「(デイサービスとか、訪問リハビリとかの)若い人が、頑張ってリハビリをしてくれるから、それにちゃんと答えないと申し訳ない。周りが自分に頑張ってくれるから、私もがんばってやっている」
勉強になりました。
リハビリを自分のためにやるのではなく、自分に対して一生懸命してくれる人のために、やる。
こんな考えは自分の中にありませんでした。
「自分の能力を取り戻すために。」
「〇〇ができるようになるために。」
リハビリテーションはそんな気持ちでやるものだと思っていました。
彼の奥様がおっしゃっていました。
「昔から、若い人をはげましたり、頑張らせたりすることを大切にする人でした。自分の子供にも「親孝行はせんでいいから、子供によくしてやりなさい」とよく言っていました。その代り、私がずぶ濡れで買い物から帰ってきても「大変だったね」の一言もない(笑)」
頑張っている人に応える。
その大切さ。
50歳ぐらいの時に脳出血を左大脳半球に起こされていて、麻痺はあるものの杖歩行ができる程度。
75歳の時に脳出血を今度は右側に起こして、当院にご入院されました。当院からほかの病院に転院するときは、コミュニケーションが取れる状態でなく、完全に介助が必要な状態でした。
しかし、幸い、というかかなり驚くことに、その後外来でお会いした時には、2回目の脳出血を起こす前の状態に戻っていらっしゃいました。
それから5年間ぐらい、外来(在宅)でお会いしていながら、聞いていないことがありました。
彼は、何とか杖歩行ができますが、お風呂はデイサービスで介助がないと入れないし、口元をうまく動かせないので、話している内容も半分以上は伝わりません。
しかし、常々おっしゃっていました。
「何とか、少しでも、よくなるように」
私は、5年間、診させていただきながら、
「でも、病気から何年もたっているから、今の状態からよくなることはないんだけどなぁ」
と、わかったような、偉そうなことを心の中でつぶやいていました。
ふと、思いついて私が話したこと。
「年齢を重ねて、筋力が落ちて、活動度が低下することが多いのに、〇〇さんは変わらないですね。少しでも良くなるように、って思いながらリハビリを続けていることが、現状維持につながっているんでしょうね。どうして、がんばれるんですか?」
「(デイサービスとか、訪問リハビリとかの)若い人が、頑張ってリハビリをしてくれるから、それにちゃんと答えないと申し訳ない。周りが自分に頑張ってくれるから、私もがんばってやっている」
勉強になりました。
リハビリを自分のためにやるのではなく、自分に対して一生懸命してくれる人のために、やる。
こんな考えは自分の中にありませんでした。
「自分の能力を取り戻すために。」
「〇〇ができるようになるために。」
リハビリテーションはそんな気持ちでやるものだと思っていました。
彼の奥様がおっしゃっていました。
「昔から、若い人をはげましたり、頑張らせたりすることを大切にする人でした。自分の子供にも「親孝行はせんでいいから、子供によくしてやりなさい」とよく言っていました。その代り、私がずぶ濡れで買い物から帰ってきても「大変だったね」の一言もない(笑)」
頑張っている人に応える。
その大切さ。
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