7:20 朝カンファランス前の病棟。
デジタル研修医:カタカタカタ(タイピング音)、、、カチッカチッ(クリックの音)
ロートル医師「状態イマイチのあの患者さん、どう?昨日と比べて」
デジタル研修医:「えーっ、おしっこは出ていて、血圧も変わりないみたいです。脈は・・・」
ロートル医師:「ちょっとちょっと、患者さん診たの?」
デジタル研修医:「いや、まだです(何か問題?)」
-------------------------
電子カルテになってから、幾度となく繰り返されるダイアログ。
「患者さんのことを五感で感じて(ときに第六感も使って)、評価しないと、医師としての臨床能力は養えないのになぁ。」
と、研修医と接しながら思いつつ、
「これも時代の流れだし、電子カルテを先に見て、情報を得た上で、診察することも、全く悪いわけではないし・・・」
とも思いながら、
かれこれ10年近く。
診療現場は、変化し続けています。
実は、これって、世界的なことなんです。
私のクリーブランドクリニックのボスも言っていました。
「今のレジデントは守られているから、時間外労働の問題があって、早く帰ったり、呼び出しが全くできなかったりして、大変。昔は、しばらく泊まり込んでたのにね」
変化しているのはアメリカも一緒。
この変化は
良いこと?
悪いこと?
仕方ないこと?
皆さんはどう思われますか?
NEJM 2016; 375: 1813-1815 に興味深い寄稿がありました。私の適当な訳なので、著者の意図からずれているところはあると思いますので、その程度の気楽感じで、読んでください。
Meaning and the Nature of Physicians’ Work
一日の仕事時間のうち、40-50%はコンピューターの前にいて、カルテを見たり、オーダーを立てたりしている。
他の時間は、看護師、栄養士、患者家族、他院の先生(※)との電話対応に時間をとられ、face-to-faceの話し合いはほとんどない
※原文:specialists, pharmacists, nutritionists, primary care offices, family members, social workers, nurses, and care coordinators
しかし、多少驚いたことに、患者と接する時間はこの60年間であまり変わっていなかった。
医学生が早期に学ぶ技術は、病歴聴取、診察技術ではなく、効果的な"chart biopsy (カルテから有用な情報を取り出すこと(かな?)"と、オーダーの入れ方、書類作成、そして、ログアウトの仕方、である。
患者が入院すると、本能的に、患者本人に合う前にカルテ情報をチェックする。
この"flipped patient" (カルテ情報だけの患者(かな?)) approachは有益なことも多い。しかし、患者を見る前の情報にるバイアス効果(framing vias)の問題や、病歴や身体所見の有益性が弱く見積もられてしまう可能性もある。
要するに、医師の「仕事場」はベッドサイドから、カルテ記載をするコンピューターの前、つまりコンピューターのある部屋に移ってしまった。
私たちは患者をベッドサイドから離れた場所で観察できるようになった。それにより、私たちは、一人の人間である患者から、自分たち自身を遠ざけること結果になった。
しかし、私達の医師としての本当の仕事は何だ!?
初めて病棟に出た学生は、「(医師の仕事が)思ってたんと違う!」と思うだろう。学生たちの診察技術やコミュニケーション能力は育たない。
上辺だけの"patient-centered care"。
実際は、中心に患者はいない。
ドロップダウンメニュー、カットアンドペースト、キーを押すだけで出てくるリストの数々が、意味のない繰り返しの文章や、不適切な、もしくは、ごまかしの言葉のならんだカルテを生み出す。
そのノイズだらけのカルテから重要な情報を抜き取るっことはかなり困難だ。
医師は、情報をコンピューターに入力することに長い時間を要するということに、疲れ、憤っていることはあきらかだ。
バーンアウトは広く知られるようになり、
レジデントの1/4以上がうつ状態である(!)
ヘルスケアリーダーは「3つの目標」の改善を提唱している。
患者の経験をより良くすること。
市民、国民の健康を改善すること。
4つ目のゴール(ケアを提供する人のワークライフを改善すること)のためにコストを減らすこと。
我々は、face-to-faceの関係のもとで働くべきである。人としての関係(医師と患者、医師同士、医師と看護師)が、私達を保つことができる。
我々はベッドサイドに戻ることができる。
そして、他の領域の医師やスペシャリストたちと、ランチルームやミーティングルームで出会うことができる。
現状のシステムを変えることはかんたんではない。
しかし、私たちは、医師として、根本的な目的に戻ることができる。
病める人の話を聞き、安寧とケアを提供すること。
それが、我々医師に与えられた特権であることに変わりはない。
デジタル研修医:カタカタカタ(タイピング音)、、、カチッカチッ(クリックの音)
ロートル医師「状態イマイチのあの患者さん、どう?昨日と比べて」
デジタル研修医:「えーっ、おしっこは出ていて、血圧も変わりないみたいです。脈は・・・」
ロートル医師:「ちょっとちょっと、患者さん診たの?」
デジタル研修医:「いや、まだです(何か問題?)」
-------------------------
電子カルテになってから、幾度となく繰り返されるダイアログ。
「患者さんのことを五感で感じて(ときに第六感も使って)、評価しないと、医師としての臨床能力は養えないのになぁ。」
と、研修医と接しながら思いつつ、
「これも時代の流れだし、電子カルテを先に見て、情報を得た上で、診察することも、全く悪いわけではないし・・・」
とも思いながら、
かれこれ10年近く。
診療現場は、変化し続けています。
実は、これって、世界的なことなんです。
私のクリーブランドクリニックのボスも言っていました。
「今のレジデントは守られているから、時間外労働の問題があって、早く帰ったり、呼び出しが全くできなかったりして、大変。昔は、しばらく泊まり込んでたのにね」
変化しているのはアメリカも一緒。
この変化は
良いこと?
悪いこと?
仕方ないこと?
皆さんはどう思われますか?
NEJM 2016; 375: 1813-1815 に興味深い寄稿がありました。私の適当な訳なので、著者の意図からずれているところはあると思いますので、その程度の気楽感じで、読んでください。
Meaning and the Nature of Physicians’ Work
一日の仕事時間のうち、40-50%はコンピューターの前にいて、カルテを見たり、オーダーを立てたりしている。
他の時間は、看護師、栄養士、患者家族、他院の先生(※)との電話対応に時間をとられ、face-to-faceの話し合いはほとんどない
※原文:specialists, pharmacists, nutritionists, primary care offices, family members, social workers, nurses, and care coordinators
しかし、多少驚いたことに、患者と接する時間はこの60年間であまり変わっていなかった。
医学生が早期に学ぶ技術は、病歴聴取、診察技術ではなく、効果的な"chart biopsy (カルテから有用な情報を取り出すこと(かな?)"と、オーダーの入れ方、書類作成、そして、ログアウトの仕方、である。
患者が入院すると、本能的に、患者本人に合う前にカルテ情報をチェックする。
この"flipped patient" (カルテ情報だけの患者(かな?)) approachは有益なことも多い。しかし、患者を見る前の情報にるバイアス効果(framing vias)の問題や、病歴や身体所見の有益性が弱く見積もられてしまう可能性もある。
要するに、医師の「仕事場」はベッドサイドから、カルテ記載をするコンピューターの前、つまりコンピューターのある部屋に移ってしまった。
私たちは患者をベッドサイドから離れた場所で観察できるようになった。それにより、私たちは、一人の人間である患者から、自分たち自身を遠ざけること結果になった。
しかし、私達の医師としての本当の仕事は何だ!?
初めて病棟に出た学生は、「(医師の仕事が)思ってたんと違う!」と思うだろう。学生たちの診察技術やコミュニケーション能力は育たない。
上辺だけの"patient-centered care"。
実際は、中心に患者はいない。
ドロップダウンメニュー、カットアンドペースト、キーを押すだけで出てくるリストの数々が、意味のない繰り返しの文章や、不適切な、もしくは、ごまかしの言葉のならんだカルテを生み出す。
そのノイズだらけのカルテから重要な情報を抜き取るっことはかなり困難だ。
医師は、情報をコンピューターに入力することに長い時間を要するということに、疲れ、憤っていることはあきらかだ。
バーンアウトは広く知られるようになり、
レジデントの1/4以上がうつ状態である(!)
ヘルスケアリーダーは「3つの目標」の改善を提唱している。
患者の経験をより良くすること。
市民、国民の健康を改善すること。
4つ目のゴール(ケアを提供する人のワークライフを改善すること)のためにコストを減らすこと。
我々は、face-to-faceの関係のもとで働くべきである。人としての関係(医師と患者、医師同士、医師と看護師)が、私達を保つことができる。
我々はベッドサイドに戻ることができる。
そして、他の領域の医師やスペシャリストたちと、ランチルームやミーティングルームで出会うことができる。
現状のシステムを変えることはかんたんではない。
しかし、私たちは、医師として、根本的な目的に戻ることができる。
病める人の話を聞き、安寧とケアを提供すること。
それが、我々医師に与えられた特権であることに変わりはない。
コメント
コメントを投稿