スキップしてメイン コンテンツに移動

第65回麻酔科学会学術集会で脳卒中を話す。大入り満員、その意味は?




脳卒中診療について話してきました。

麻酔科学会総会で。

医師人生で、そんな経験をするとは思っていませんでした。

自分の専門でない学会で話をさせていただく機会は、そうあることではなく、とても光栄なことです。

以前、救命救急センターに所属していたときに、上司だった女医のN先生に推薦を戴いたことがきっかけでした。

リフレッシャーズセミナーという45個ある枠の1枠をいただき、「脳卒中に気づく、治療につなげる」と題して、話をしてきました。

他をみると、ほぼ全てが、麻酔科領域の話で、

かつ同じ時間に他の会場でもリフレッシャーズセミナーの講演があっていたので、

会場に着く前は

「どうせ、脳卒中に興味がある麻酔科医はそんなにおらんやろうし、他の話のほうが麻酔科医にとって興味を引く話だろうから、たぶん、集まるのは2, 30人ぐらいやろ。でも、折角、聴きに来ていただいたからには、一生懸命伝えるぜぇ」

なんていうふうに、テンションを上げていました。

しかし、いざ、会場に入ると、

大入り満員の、優秀な麻酔科医だらけ。

たぶん2, 300人。

テンション上がるどころか、緊張で脇汗がシャツにしょんでいく一方。

やばい、

小学校の時の、一人で歌うの歌のテストくらい緊張する。。。

内容は、脳梗塞急性期治療の話などを麻酔科の先生が従事する領域の話と絡めて話を進めていきました。

会の形式は、多分、いわゆる「講師」として話す、というスタイルなのでしょう、講演を進行する座長はおらず、

「それでは始めます」

みたいな感じで、一人で始めて、

「以上です。ありがとうございました。」

と、一人で終わる。

という、学生への講義みたいなスタイルでした。

ちゃんと面白く話ができたかどうか、伝わったかどうかはわかりませんが、

一生懸命に話しはしましたので、とりあえずは、それで良し、とします。

終わった後に、数人の麻酔科医から質問をいただきました。

少なくとも一部の先生方の琴線に、多少は触れた証左なのだろうと勝手に思い込んでいます。

ただ、やはり、

なぜ、立ち見が出るほどの大入り満員だったのか?

という疑問が残ります。

ひねくれている私。

なんに対しても裏があるのでは?

いつでも、多少でも、もてはやされると、「卑屈な私」を発動します。

なぜ、他の講演を選ばずに、有名でもない私の話を、多数の麻酔科医が聴講することにしたのか。

しかも、途中退室する先生は、おそらく、ほぼ皆無でした。

一つの理由は、

「脳卒中診療も知らなければいけない」

と考える麻酔科医の探究心によるものだと思います。

脳卒中を、救急、集中治療、緩和医療などの現場で経験し、「もっと良い対応ができたのではないか?」などと思われて、聴講された先生も多くいらっしゃったことと推察します。

しかし、理由はそれだけではなさそうです。

どうも、日本専門医機構の考えによるものが影響しているように思います。

学会で、講義を聞き始めたからには、最初から最後まで聴講しなくてはならない。専門医の能力を担保するために。寝ていようが、起きていようが。ボーッと他のことを考えていようが、真剣に聴いていようが。(私の解釈)

出席者は、

会場に入る前に、ICカードをかざして、出席の「ピッコーン」。

退室時にも、聴講したよ、の「ピッコーン」。

・・・・。

途中退室してもいいけど、単位は取得できませんよ。

と学会の案内に書いていました。

この形式は、いくつかの学会では今年から導入されているところが多いようです。

なんだか、どうなんでしょう。

学び、って自由だと思ってました。

医師の学術集会は、新しい情報とか、世界の流れ、なんかを自分の知識に取り入れる自由な学びの場と思っていました。

専門医機構の考えは違うのでしょう。

成人にもなって、出席をとられるなんて。

なんだか、むなしく思うのは私だけではないと思います。

「そんなこと、当たり前でしょ。能力のない医師に診られたくない」

そういう市民の意見もあるでしょう。

たしかに、そう。

私達は、専門医を維持するために、学会にお金を払って、参加して、講義を聴講して、単位をもらう。確かに、ちゃんと講義を聞かないといけないけど、

それをルールにするのは

ちょっと息苦しい。

そもそも専門医の能力が、学会に参加することで維持される根拠が乏しいし、

今の専門医の能力が下がってきているのかどうかもわからない。

本当に、出席を取ることが専門医の能力を担保する一端になると思っている、というかデータを元に述べているのでしょうか、専門医機構は。

「責難は成事に非ず」

対案は何か?

そもそも専門医とは何のために、誰のためにあるのか。

日常で診る患者さんのため。

それならば、日常で診る必要十分な専門的知識と能力があれば十分だと思います。

一部の医師は、他の医師を束ねるために、さらなる知識を必要としますが、それをすべての医師に求めることは困難です。

最低限の専門的知識は、日常の中でブラッシュアップされればいいので、Webinerなどで情報提供すればon demandで見られます。

わざわざ地方から都市に、都市から地方に、もしくは地方から地方に、学術集会のために移動して、そこで専門医の能力を維持する講義を受ける必要はない気がします。

生で講義を聞くことを全否定はしません。

むしろ重要です。

だからこそ、先進的な話とか、魅力的な講演を学術集会で聴講できればありがたい。

お金と時間の有効な利用を。

やっぱり、

大人になったのに、出席をとられるっていうのは、むなしい。

海外ではないと思うので、恥ずかしいし。

ただ、後日、優秀な麻酔科医から

「あれはあれでいいところがあって、普段なかなか聴かないような講義を聴かざるを得ない状況になって、思いがけず興味深い話を聞けたり、情報を得られたりする」

それは確かに良い点です。

けれど、私は違和感を感じています。

それは、たぶん、その優秀な麻酔科医は前からできていて、さらに物事をポジティブに捉える良いマインドを持ってらっしゃるから、そう思えるんじゃないかなぁ。

と、ネガティブ思考気味の私は、そう思うのであります。

--------------------------------------------------------------------------------

なんだか、

監視社会の波紋が、私達、医師の世界にも及んできて、

得も言われぬ、息苦しさを感じ始めています。



麻酔科学会で発表した証拠。下から5番目


コメント

このブログの人気の投稿

NIHSSスコアの基本を再確認。

※付録 NIHSSスコア NIHSSスコアを作ったLyden先生がNIHSSスコアについて書いています。 NIHSSスコアを評価すると、ときどき、 「これ、何点にすべきですか?」 なんて、看護師や、研修医から聞かれて、 「まぁ、1点と2点の間って感じかな?」 と、ぼかしたり、 「思うとおりに評価していいよ。それが、大切だ!」 と、妙に「お前を信頼しているぜ」感を醸し出したりして、 その場を切り抜けていました。 それも、間違いだとは思いませんが、「もっとスッキリしたい」とみんな思っていたのだと思います。 で、このもやもや感を少しでも解消できるかと思って、 Lyden et al. Stroke. 2017;48:513-519 Using the National Institutes of Health Stroke Scale を読んでみましたが、 基本、NIHSSスコアが作られた歴史 的な話ばかりで、 スッキリせず。 期待がずれていたのは、こっちの問題です。 それでも、2つ再確認出来たことがありました。 NIHSSスコアを評価するときのルール すべての項目で、Score what you see, not what you think (診たものを評価する。検者が考えたものではない) すべての項目で、Score the first response, not the best response, except item 9 best language (最初の反応を評価する。ベストの反応ではない。でも、言語の評価はベストの反応で) すべての項目で、Do not coach (コーチしちゃだめ) 項目1aで、May be assessed casually while taking history (会話している間に評価可能でしょう) 項目2で、Only assess horizontal gaze (水平方向の眼球運動のみ評価) 項目5 and 6で、Count out loud and use your fingers to show the patient your count (声を出して数字をカウントし、患者の前で指を折ってカウントすることもす...

3度めの正直。日本神経学会専門医合格。

第40回神経専門医試験に合格しました。 合格をいただきました。 3度めの正直なのです。 第38回☓、第39回☓、で今回。 試験結果が出るまで、 「3度目の正直」:「2度あることは3度ある」=1:5 ぐらいの心境でした。 2回不合格だったことは、少しだけ恥ずかしいですが、仕方ありません。 それが、現実ですし、逆に、得られたことも大きかったです。 神経診察を基本からやり直すと、より深く、それぞれの診察の意味と、的確な総合的診断に結びつくことを理解することが出来ました。 疾患についても勉強しなおしました。 あたり前ののことですが、でもそのあたり前(基本)が重要なんですね。 多くの神経内科医は知っていることなのでしょうけど。 今回も試験当日は20分ずつ2部屋で面接試験がありました。1つ目の部屋では、診察の実技です。 面接官の先生はiPadを見ながら、どれを質問しようか考えていらっしゃいました。 おそらく、神経診察の到達目標みたいなのがあって、そのうちの1つか、2つを受験者にさせているのだと思います。 「右麻痺があって、複視がある人の診察をしてください。あっ、意識障害も有るということで」 横に座っている若いお兄ちゃんを診察させていただくことになります。 いつも(3回目なので)思うのは、この普通の人を、病気の人としてイメージしながら診察することの難しさです。 診察しても、麻痺の症状をしてくれるわけではありません。「ものが二重に見える」と訴えてくれるわけではありません。もちろん、意識清明です。 脳神経の2番から順に診察をしていくと、省くことができず、そのまま脳神経診察終了。 ベッドに寝かせて、運動の診察をして、チラッと試験管をみても、何もおっしゃらないので、そのまま感覚、協調運動の診察。チラっと試験管をみても、何もおっしゃらないので、そのまま腱反射、病的反射の診察。そこで、試験管から一言。 「あのー、意識障害もありましたよね」 「あっ。」 かるく、混乱して、最後まで意識障害の診察をせずに終わってしまいました。 やってしまった~と思いつつも、意識の診察を「わかりますか〜」なんて、質問したところで、 「ま、それはいいので」「意識障害があれば、髄膜刺激徴候も必ず診ますよね」 ...

私、第38回神経内科専門医試験2次試験受けました。

先に言います. いいわけ. 2次試験の前準備なし,は言い過ぎで,あまりできなかった,です. 毎日,患者さんが来てくださって・・・. いいわけ. 場所は都市センターホテル. 2次試験は,診察と面接です. 診察. やさしい先生方でした.うまくできなくてすいませんでしたって感じです. 「いや,責めてるわけじゃないから」 なんて,言わせるような雰囲気だったわけです. ・・・・. 模擬患者さんは若いお兄ちゃん. 「意識障害で来た患者が脳卒中かどうか鑑別してください」 ・・・・.今考えれば,健康そうな兄ちゃんが普通に横たわって,目は開けて,両手は指示通り握って,ただ呼びかけに答えないだけ,というシュールな状況. 普通に急患室でみたら,解離性混迷でしょう. 脳卒中の意識障害なんて,「現場」で見れば簡単です. 意識障害がおこるほど広範な虚血を起こしているか(基本は内頸動脈閉塞,中大脳動脈閉塞の一部),脳底動脈が閉塞して,脳幹がやられている. 見た目でわかる. でも,「”試験”現場」では,緊張して,何がなんだか分からなくなりました. 終了. 「次は,腱反射をとってください.」 上肢の腱反射が出づらくて増強法でやっても,出たり出なかったり. 「意外と,末梢神経障害とかあるのか?いや,模擬患者だからそんなはずはない.いやしかし・・・・」 私の脳内の私の小人たちが,熱い脳内ディスカッションを繰り広げ,議論は紛糾し・・・,結論出ず・・・. 試験前は,後輩に「大丈夫,みんないっしょだから,なんとかなるよ」なんて,緊張を解きほぐしてやった偉そうな私は,向かいのドアから外に出て行ってしまっていました. そんな,病気の人,混じっているわけないですね.今考えると. 今,思い出しながら,かなり恥ずかしい間違いをしたことを思い出しました. あまりに恥ずかしいので,ここに書けません. せめて,このブログでは次の試験部屋に進ませてください. しかし,次の試験部屋でも,いいことありませんでした. お二人の先生方がいらっしゃって,お一人の先生は,先に提出してい...